| 60 | 藤崎 紘範 フジサキ ヒロノリ |
1980年5月21日(26歳)、右投右打 |
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入団当時の藤崎を見て、誰が140km/h半ばのストレートを投げることが出来るようになると思っただろうか。それでも管理人の心の中ではいつまでも「平成の遅球王」。ドラフト上位が劇的
なまでに失敗し、中位以降にこっそりと入団した選手が後に主力に成長すると言う個性的なドラフトスタイルを貫いた大阪近鉄の伝統を体現するかもしれない。いつまでも若手だと思っていた
が、そろそろ中堅クラスになってしまった。
大阪近鉄指名投手では珍しい部類に入る典型的な技巧派投手。他球団に行けば捨てるほどいるタイプなのだが「速球マンセー主義」を突き進んだ大阪近鉄にあっては非常に希少なタイプ の投手であり、そのせもあってか一軍にはほとんど出てこないというのに一部のファンより熱烈な支持を受ける。基本的な投球スタイルは制球力と変化球で打ち気を散らしながら打たせて捕 る投球術が信条の投手なのだが、その変化球を活かす速球があまりにも遅いために中途半端なレベルで完成しそうになる。さらに技巧派投手が陥る「凝った投球術」に嵌ったように見え、 若手のはずが30歳を超えたベテラン投手のような配球を見せる始末。遅い遅いと言うわりには伸びがあるストレートだけに「球速さえ上がれば…」と思わせていたが、遂に140km/hの壁を 破りMAX144km/hを投げたと聞いた時には「遂に藤崎も一軍に…」と小躍りさせられた。が、そもそもの所属球団の大阪近鉄が事実上の消滅。おまけに藤崎本人は消滅の前に戦力外通告 を受けてしまった。しかし、新球団東北楽天の立ち上げに戦力外やロートル…もといベテラン選手を集めていたマーテーさんの御眼鏡に引っ掛かり東北は宮城に引っ越すことになる。ゆえに 藤崎は分配ドラフト対象選手ではない。 先発ローテが事前には岩隈を軸とし、新人・一場と外国人ラス&ホッジス、それに高村や金田、山村などの先発実績のある投手で組まれると思われていたが、藤崎はオープン戦で生涯屈指 の確変に突入し、何と開幕2戦目の先発を任せられるという大僥倖を得る。が、結果は例の「3・27の大虐殺」。さらに男前梨田に「合併が無ければ打撃投手をやってもらおうと思っていた」と 投球の素直さ、打ち易さを指摘される始末。地元仙台では開幕前は岩隈と並んで投手陣の救世主候補として英雄視され、地元の百貨店「藤崎」からCM出演の打診などがあったが、何時の 間にか立ち消えになり、そのまま二軍に落ちると上には上がって来れなかった。 持ち味の制球力と変化球、さらに球速が上がり武器にもありそうになってきたストレートとのコンビネーションにもどうやら目処がたってきた。「投手藤崎紘範」として最大の課題だったストレート が140km/hを超えたことで多彩な変化球を活かす投球術にも幅が広がった。元々、スタミナを大きくロスする力投型には縁遠い投手だけに試合を構成する投球術さえしっかり作り上げられれば 、確実に先発ローテに入るだけの素質は持っている。ただ、男前梨田にも指摘されたように球の素直さが最大の問題となり、下手に制球力があるだけにコースを攻めても狙い打ててしまうと いう弱点が露見した。中継ぎとして1〜2イニングぐらいを速球派投手の後に投げれば安定した投球を見せられるかも知れないが、この素直さが解消されない限りは再び先発ローテとして 復活するのは難しいかもしれない。また、「藤崎ならこの球」という絶対的なウィニングショットが特に見当たらないため、多彩さを誇る変化球の中から絶対的な武器になる変化球を伸ばす 必要がある。 こっそりと管理人が持っている大阪近鉄応援ユニ4着のうち、1着が「60 FUJISAKI」であることは一部の人しか知らない。さらに初代東北楽天応援ユニも藤崎のユニだったことは殆どの人 は知らない。外野芝生自由席で藤崎ユニを着ている人間が居たら、管理人である可能性は比較的高い。 | ||
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宮崎第一高校〜大阪近鉄('99・5位)〜東北楽天('05-) | ||
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'05シーズン成績:5試合(16回1/3)、0勝3敗0S、防御率5.14 | ||