二軍打撃コーチ
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広橋 公寿 ヒロハシ コウジュ
1957年1月11日(49歳)、右投右打
 対「岩隈久志獲得コーチ」としてコーチに就任、そして「岩隈久志専用コーチ」として職務に励み、昨年の首脳陣が切られる中で二軍より「岩隈久志在宅ケア用コーチ」として頑張る。 各球団経験者から満遍なくコーチングスタッフを割りふってきた中、南海・福岡ダイエー経験者が居ないということに気がついた首脳陣が実は1年だけ福岡ダイエーに居たという意外な経歴 を持つ、ということで広橋が選ばれたという一面がある。週刊新潮に東北楽天が叩かれた時のある意味主軸だった人。岩隈問題勃発となり、この「岩隈−広橋」ラインを「創価学会」という 非常に香ばしいフレーズを付け加えることで、元々気に食わなかった東北楽天に「東北楽天=創価学会の巣窟」というレッテルを貼ろうとしたらしい。ファンとしては現場に宗教は持ち込まず、 打撃理論と育成技術を持ち込んでくれれば良い。

 社会人時代から左投手には滅法強いということで「左キラー」として名を馳せ、西武黄金期においてもその左投手への強さでポジションを築き、「ストッパー毒島」の広岡不二夫のモデルとなる。 その独特の打撃フォームと、当時は社会権をあまり得ていなかった眼鏡選手という風貌からスター選手への道は閉ざされたが、当時の西武黄金期には必要な人材であった。しかしその 存在価値も清原や秋山、石毛らスター選手によってかき消され、西武ファン以外で彼の名前と活躍する姿を知っている人は少なかった。結局は衰え始めた頃にひっそりと中日にトレードされ、 こっそりと福岡ダイエーに移籍し、あっさりと引退した。

 現役時代に左キラーとしか印象が無いのに西武で打撃コーチに就任するあたり、対左投手の打撃理論はしっかりしていると思われる。この球団には川口憲史という「致命的なまでに 左投手に弱いと思われている人」がいるだけに、この川口を、さらには活きの良い若手に対左投手理論を叩き込むのが本来は主なる仕事になる。そして実際はエース岩隈のオフでの メンタルケアが非常に重要な仕事になる。ただしメンタルケアの一環として「宗教のメンタルトレーニングコーチ」になるのだけは勘弁して欲しい。特に二軍には小野・山下という既に創価学会 に入っているらしいコーチが揃っているだけに、間違っても二軍から上がってきて活躍した選手が聖教新聞に載るのだけは見たくない。
東海大第五高校〜八幡大学〜東芝〜西武('81・D外)〜中日〜福岡ダイエー〜西武〜東北楽天('05-)
現役通算成績:569試合、258安打、打率.271、本塁打14、打点96、盗塁32(11年)