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礒部 公一 イソベ コウイチ
1974年3月12日(32歳)、右投左打
 ロペスが「初代Mr.イーグルス」と呼ばれる中、本来ならこの人が自らの成績と自らのリーダーシップで勝ち取らなければいけなかったが、気がついたら伏兵・山崎にその座を奪われていた 「球団開幕前の主役」。

 元は「打って守って走れる捕手」として、あのヨッシャー佐々木がわざわざヘリをチャーターしてまでオリックス志望だった礒部を説得に飛んだという逸材。前評判ではリードも巧く、守備も 高いレベルにあり、打撃は即主軸のはずだった。捕手として男前梨田と草魂の女房有田以来の「打てる捕手」が近鉄に誕生するとファンを大いに喜ばせた。が、最初は盗塁阻止率3割前後 とそこそこの成績を残していたものの、00年には盗塁阻止率1割台まで急降下。それでも男前は自身の現役時代の背番号「8」を与えるなど大いなる期待をかけるが01年のオープン戦で 8連続で盗塁を決められてしまい本格的に外野手にコンバート。どうやらこの背番号「8」は自身の後継者としての意味合いよりも「外野手コンバート予告」じゃなかったのかと思わせる。

 本来の礒部公一の打撃スタイルは、しっかりとミートを心掛け、ボールをバットに乗せて外野に運ぶ安定感溢れる中距離打者であり、振り回しまくる大阪近鉄打線にあって強大なる存在感 を残し、リーグ優勝時には「最強の5番打者」として全国に名を馳せる。が、突入していた確変状態は日本シリーズで終了し、さながらフルスペック並みの大ハマリモードに突入。最早誰1人と して「最強の5番打者」という言葉は発しなくなった。そして徐々に復調しつつある時に、「呪われた近鉄選手会長」に就任。そして待っていたのが例の合併問題。元「最強の5番打者」は 「悲劇の選手会長」として再びお茶の間に復帰を果たす。奮闘空しく大阪近鉄が事実上の消滅となった時、分配ドラフトでプロテクト枠入りを徹底的に拒否。合併反対大阪近鉄ファンの最後 の心の拠り所として好感度を大いにアップさせる。

 東北楽天に移籍後は「あの輝きをもう一度」という気持ちと過大なる評価が独り歩きしてしまい、地元メディアでは「礒部なら3割30本は固い」などと大いに間違った評価が飛び交う。大阪近 鉄イズムを継承した礒部は振り回す打撃を見せるようになり、本来の持ち味と引き換えに16本というホームランを放つ。そもそも移籍前年の26本という数字は、ラビットボールの影響が大き いということを誰も指摘しなかったのが痛すぎる。大阪近鉄時代より兆候を見せていたミート最優先から一発狙いへのフォームもしっかりと定着してしまっていた。

 繰り返すが礒部は本来は中距離打者。本来は4番打者が還しきれなかった走者をきっちりと還す典型的な5番打者。だが、そうは使ってもらえないのが今のチーム事情。正直な話、礒部と いう打者を延々と5番で使い続けたら潰れてしまう。そして大きな期待をかけ過ぎると「心の中の日本シリーズ」が再び始まってしまう。東北楽天という球団が礒部という打者を最大限に活かし たいなら5番に据え、本塁打よりも確実性を最優先にする礒部公一本来の姿に戻す努力をするべきだ。できなければ腹を切って死ぬべきである。
西条農業高校〜三菱重工広島〜近鉄・大阪近鉄('97・3位)〜東北楽天('05-)
'05シーズン成績:122試合、484打数128安打、打率.264、本塁打16、打点51、盗塁2