| 56 | 根市 寛貴 ネイチ ヒロタカ |
1982年10月21日(24歳)、右投右打 |
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甲子園で人気を集めた光星学院高の背番号「3」のエース。松崎らが入団するまでは東北楽天唯一の東北出身選手。そして「一軍の登板がないのに3球団所属」という史上初の偉業を
達成した現記録保持者。隠れ大物候補と言われながらも大学進学を表明していたため殆どの球団が指名を見送る中、しっかりと御家芸の「囲い込み」を行っていた巨人に4位指名を受け
一転して入団した。そこで巨人恒例の「フォーム改造」という仮面ライダーでのショッカー改造手術並みに危険な指導を施され、持ち味であるダイナミックさが失われてしまった。育成のいう
概念を完璧に捨て去った巨人にあって、このレベルの投手はいつでも手に入るという傲慢さから改造手術に失敗した根市の戦力外も非常に近くなったが、根市の壊れっぷりを知らなかった
大阪近鉄が「根市に金銭を付けて三沢はどうですか?」の口車に乗り、当時中継ぎとして主力だった三沢とトレードとなり大阪近鉄入りを果たす。あの甲子園でのダイナミックなピッチングを
知っている大阪近鉄ファンは心から新たなるヒーロー候補の根市の入団を喜んだが、やってきた根市はあの根市ではなく、既に改造手術が失敗して壊れていた根市だったため、喜びから
同情の念に変わっていた。
本来の根市は、左足を高く上げ反動をつけて勢いで投げる豪快なフォームでMAX147km/hのストレートを投げる速球派投手。そして大きなフォームながらも外角を丁寧に攻められる制球力 と切れ味抜群のスライダーが武器…だったはず。元々、このフォームでは長いイニングは無理ということでのフォーム改造だったのだろうが、結果的に全ての持ち味が失われてしまった。 大阪近鉄に入団してからは元のフォームへとの復活作業が進行したが、一旦壊されたものを取り戻すのは非常に困難であり、あの甲子園での輝きは戻ってきていない。既にオリックスの 傀儡となり、オリックス首脳陣から戦力外と見られたために戦力外通告を受けるものの、若手が欲しい、そして東北出身者が欲しい東北楽天の目にとまり東北楽天入りを果たした。 年齢的に大卒選手とほとんど変わらないために、まだまだ伸びシロは残っている。現在でもフォーム再建活動は続行中であり、あの豪快な根市が復活することを心から祈るのみである。 それに元々投手としてだけではなく野手としての能力も高い選手だけに野手へのコンバートという方向性も残されている。同じように巨人で投手として潰され、打者として成功した例として 吉岡雄二という選手がいるだけに簡単に切り捨てないでこちらの方向もしっかりと模索して欲しいところ。何せ冗談抜きで東北出身者が少なすぎる東北楽天にあって根市という投手は インパクトという面でも記憶にしっかりと残っているスター候補選手であるのは間違いないのであるから。 | ||
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光星学院高校〜巨人('01・4位)〜大阪近鉄〜東北楽天('05-) | ||
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'05シーズン成績:一軍登板機会なし | ||