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二軍投手コーチ
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| 74 | 小野 和義 オノ カズヨシ |
1965年11月13日(41歳)、左投左打 |
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東北楽天の投手コーチ兼「元大阪近鉄ファン」担当コーチ。例の「東北楽天=創価学会の巣窟」騒動の時に叩かれかけた二軍創価コーチトリオの一翼。大阪近鉄ファンにとって、屈指の
当たり年と言われる84年ドラフトの1位指名選手。もしもオリックスを一旦クビになった吉井を東北楽天が獲った場合、「同期ドラフト1・2位コンビ」が復活するというキャプションが出来たのだが
惜しいことをした。ちなみにこのキャプションだが、昨年は「紀藤と小野の同期ドラフトコンビ」が出来上がっていたのだが、誰1人として持ち上げてくれなかった。ちなみに今年は「紀藤と小野、
そして池山の同期ドラフトトリオ」が出来上がっているのだが、誰も気がつかない。
「江夏二世」として3球団競合の末、近鉄に入団。そして左のエースとして君臨し、「投手力があった頃の近鉄」を同期の吉井や阿波野らと支える。当初は防御率も悪く、安定感のなかった が、優勝争いを繰り広げた頃には完全に安定感を身につけエースとしての風貌を備える。故障で終わったかと思われたが、復活し12勝を挙げてカムバック。が、草魂が監督になると野茂と 同じく対立、その結果野茂に先んじて西武へと移籍。西武で中継ぎとして復活するも、よりによって同じく元近鉄の金村とトレードで中日へ。結局はそのまま中日で引退する。 コーチとして小野は二軍で若手投手を育てるには手腕を発揮するように思われる。一軍だと投手起用や継投ではかなりの疑問符がつくが、二軍に置いておくと夏場くらいには活きの良い 若手や中堅がロングリリーフ可な中継ぎ投手として上がってくることが多い。一応は昨年の「不振」の責任をとっての二軍降格人事だろうが、実は小野を二軍に置くことは球団にとって かなりの適材適所なのかもしれない。さらに中日時代には星野組長の「多少投手は酷使してもオッケー」な理論を学んでいると思われるので、厳し目の育成もやるんじゃないかと想像される。 ただ、間違っても広橋や山下らと「池田大作先生の導き…」のメンタルトレーニングだけはやらないでもらいたい。 | ||
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創価高校〜近鉄('84・1位)〜西武〜中日〜近鉄・大阪近鉄〜東北楽天('05-) | ||
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現役通算成績:284試合、82勝78敗4S、防御率4.03(14年) | ||
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獲得タイトル:カムバック賞('91) | ||