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二軍バッテリーコーチ
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| 84 | 山下 和彦 ヤマシタ カズヒコ |
1962年11月29日(44歳)、右投右打 |
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梨田・有田体制終焉後、近鉄に蔓延した「捕手は打てなくても良い」を地で突き進んだ現役時代。男前引退でぽっかりと空いた穴を埋めるべく正捕手に定着したが、同じようなキャラで
成長した光山らにあっさりと突き上げを食らい、あっさりと禅譲。そして近鉄の捕手陣はその球団消滅まで良く言えば戦乱時代、はっきりと言ってしまえば正捕手の座を安泰とするレベルの
捕手が育たない時代を迎える。それでも近鉄では絶対的エースとされた野茂英雄とは相性が非常に良かったようで、「野茂限定正捕手」というポジションだけは築いたために一時期は
存在価値を保ち続ける。しかしその時代も草魂との確執から野茂が球団を去ると終焉し、存在意義を失った山下はいつの間にか日本ハムへと流される。しかし横浜まで流れていたのは
意外だった。
東北楽天では「恐怖の二軍創価トリオコーチ」の一翼を担う。間違っても「二軍の若手を池田大作先生の導きに…」が仕事ではない。球団立ち上げ時には大阪近鉄から小野とともに東北 楽天入りしたが、あの岩隈以外は目を覆いたくなるような大阪近鉄投手陣を築き上げた2人が選ばれたのかは非常に謎。昨年の「不振」の責任をとり、二軍に3人仲良く異動とあいなったが、 若手投手の育成にはある程度定評のあるコンビなだけに適材適所な異動じゃないかと思わされる。何度も繰り返すが間違っても布教活動だけはしないで欲しい。 | ||
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柳ヶ浦高校〜新日鉄大分〜近鉄('85・2位)〜日本ハム〜横浜〜大阪近鉄〜東北楽天('05-) | ||
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現役通算成績:910試合、380安打、打率.218、本塁打30、打点159、盗塁5(13年) | ||