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岩隈 久志 イワクマ ヒサシ
1981年4月21日(26歳)  右投右打  東京都出身
 大阪近鉄最後のエースとして君臨し、分配ドラフトで「行きません」とオリックスに伝えながらも強行プロテクトされ、一悶着起こしてすったもんだで東北楽天入りを果たした東北楽天初代 エース。その甘いマスクとモデル張りのスタイルから大阪近鉄の選手にしては珍しく、場末のおっさんからではなく女性ファンから人気があった。ただし既に妻帯者。ベストファーザー賞まで 受賞する家庭持ち。嫁の実家との関係も良好、というよりも良すぎるので東北の腐女子残念。

 ノーワインドアップから足を上げたところで動作がストップ。その時右手は体に平行してブラブラ、足は二段モーション気味にブラブラ。そこから長い足を一気に踏み出し長い腕を撓らせて 150km/hを超える速球と切れ味鋭いスライダー、シュート、フォークを投げる絶対的エース…だったが、国際ルールに則り二段モーションが禁止されると、前年から痛めていた肩と悪い方で シンクロし、持ち味の速球が大幅にダウン。大阪近鉄時代よりファンが恐れていた「ガラスのエース」化が進んだかと思われたが、どうにかこうにか復活した模様。ただし、長いイニングを 任せられるだけのスタミナは持つものの、長いシーズンを乗り切るスタミナ面では若干の不安が残っているのが課題。

 幼少期より実の両親とは折り合いが悪いらしく、堀越高で野球で生きていくことを決意。関東ではそこそこ有名な投手だったらしいが、その余りにも細すぎる体から各球団がスルー。 大阪近鉄から5位で指名されたが、期待の新人とは紹介されずに二軍で雌伏。そこで久保康生から例の変則フォームを仕込まれ、2年目終盤に彗星の如く一軍マウンドに登場。 大阪近鉄の優勝に一花添え、日本シリーズでも先発マウンドを任されてしまう。そこから岩隈のサクセスストーリーの始まりで、安定感に欠けるエースが君臨し続け、直前のエースが あの前川御大という大阪近鉄にあって防御率が3点台をキープし、四死球の数も少なく、計算できる岩隈はまさに「神」であり、年々安定した成績をまとめてきた。東北楽天入りしてからも、 大阪近鉄時代には期待できた崩れた時の打線の援護もそれ程期待できないため、勝ち星には恵まれていないものの、安定して試合を作れる技術は健在のように見える。

 将来的にFAでどこかに行ってしまうのでは…という不安も大きいが義父・広橋コーチを囲っている間は移籍は無いと思っても良い。となると、ポスト岩隈となりうる若手投手の台頭が 望まれるのだが、選手層からそれも望みにくい。福岡ソフトバンクとの相性が悪いことも有名だが、今の岩隈の地位から考えて避けるのは不可能。単なる速球派ではなく、技巧派色が 強いだけに若手の見本として期待が集まる。岩隈自身も充分若手の域なのだが。
経歴・経緯
堀越高校 〜 大阪近鉄('00・5位) 〜 オリックス 〜 東北楽天('05-)
'06シーズン成績
6試合(38回2/3)、1勝2敗0S、防御率3.72
獲得タイトル
最多勝投手('04)、ベストナイン('04)